2006年08月19日

送信と受信。交信はその先。

携帯電話が、生活に欠かせないアイテムだってことを、最近無駄によく感じている人間が此処に。ただ身近すぎて、現実感が感じられない。結構無制限に使ってる部分がある。当然定額制のオプションを入れてあるから、何をしても1万円は超えないけどね。

最近(今思ったけど、このコトバ使いすぎだな、オレ)、音楽をゆっくりと聞く時間が採れない。アルバイトのこととか、ネットのゴタゴタ解決とか、色々考えなければいけない事案がありすぎた。モノは豊かになるけど、時間は消えてなくなっていく。
1つの景色は、とてもきれいだ。そんなときふだんなら、心には何も残っていないはずなのに、そこには何かが残っていた。景色は、ある信号でしかなくなって、焼き付いたまま。剥がしたいが、剥がせない。剥がしたいが、…。
今の自分は、予想以上にたくさんのことを抱えているみたい。空っぽにできない心が何よりの証明になる。来ないメールを待っていたり、誰かと繋がることを恐れているくせに、思いの傾く方向に自らを持っていく、そんな自分をときに悲しく思う。
無理矢理に、アルバイトの休憩で買った特別メニューを取り込んでゆく。すぐに苦しくなる身体。あのときオレは、「特別メニューだからな」と思っていた。でも今はそうは思わない。あれはオレの中の、抜けきれていない不安定さだと、そう思うのだ。

精神は肉体を支配する。肉体が精神を支配なんてするはずはない。精神なんて形の無いものを、形ある有限の肉体が、どうして支配できようか。
無限の不安は、有限の対症療法じゃ解決しないし、膨らんでゆくだけだ。いくら肉体を鍛えたって、精神はそれを無視して物事を司る。


進む先には、まだ何も見えないけど、今はそれでもいい感じ。しかしいずれ、全てのバランスが音を立てずに崩れて消える日を、オレはマイナスに見て、終点までの電車に乗る。
つまり、伝えたい事柄が此処に在って、受けとる事柄が無いわけがないのに、そこに無くなってしまう。存在証明の喪失。


逃げたい。逃げ切って見せたい。けれどそこに精神がない限りは、一歩を踏み出すことさえ、出来ない。




「バスの揺れ方で人生の意味が/分かった日曜日」
posted by butterfly at 17:29 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | Diary
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